地下道のお菓子より

いつしかの君へ

無題

 

 

これは本当、ただ朝眠れずにいる人の独り言ですので、そのまま右から左へ流していただけたらと思います。(なので突っかからないで…)

 

 

わたしが初めて人の名前が書いてあるうちわを作ったのは、あなたが初めてでした。何も書いていない無地の大きな黒いうちわと、初めて買った蛍光色のシートを買うのも、初めてだった。

jr.としての公演がまだ主流にはなっていない頃の、初めて行われたjr.祭りに持っていくためのものでした。誘ってくれた関ジュ担の友人、心から感謝しています。

 

結局何が何かわからないまま終わった。ただあなたが存在しているその姿が、なにより愛おしくて、大好きでした。初めて見た少クラ初披露のAmazing!!!!!!、大好きすぎていつもAmazing!!!!!!の「!」は6つ必ずつけていましたね。本当に大好きな曲。"おまえらは守るから どこまでもついてきな" あまりにもSixTONESらしかった。頼もしかった。

 

いつからだろう、いつの間にか、わたしの好きなグループはSixTONESではなくなっていた。明確な時期は覚えていない。なんとなく、少クラでジャポニカスタイルが初披露されて「布」と叫んでいた記憶はある。受験期の私に良くしてくれたスト担の方から送ってもらった少年たちのフォトセが家にある。ただ、それだけが、わたしがSixTONESを好きだったという最後の印になっている。

 

SixTONESのことが好きだったことは、実は血の迷いだったかもしれない。失礼なのかもしれない、でも今はそう思っている。大好きだったjr.は辞めたり、再編成したり、波乱万丈ではあるが、SixTONESだけは、血の迷いだったかもと思ってしまう。私には戦闘民族の血が流れてはいなかったのだろう。人には向き不向きがあるし、この世には適材適所という言葉もある。

ただそれは、決して、断じて、SixTONESの悪いところではない。SixTONESのよいところは、血の気が多くて、その強さが誇らしくて、頼もしくて、人を惹きつける魅力であることは、重々わかっている。勘違いしてもそこを否定することはない。ただそれが、わたしには向いていなかったことに気付いてしまっただけである。

追いかけるのが苦しくなっていた。彼1人が好きでも、人気になるにつれ完成されてゆくグループの色を好きになるには、私には難易度が高かった。降りてしまった。好きな推しのグループを聞かれて答えなくなってしまった時が潮時ですね。キントレのペンラの数が1番多いのがSixTONESだとしても、うちわをちゃんと作ったのは彼だけだとしても、オタクには推しから降りるタイミングがちゃんと用意されているのだと察する。

 

ほんの数ヶ月の勘違いだったかもしれない、でも、あなたがいなければ私は今頃沢山のjr.に目を向けることはなかったし、あなたがいなければ会えなかった人たちがいる。たった数ヶ月、新規で始まり新規で終わる身分の低いものではありますが、、。

 

あれから数年、悲願のデビューですね。おめでとうございます。昔の女の顔をするには、愛もご縁も体力も足りないですね。

田中樹さん。特に顔が、大好きです。おめでとうございます。益々のご活躍をお祈りします。