地下道のお菓子より

いつしかの君へ

大好きの形象化

 

6月22日、大好きなアイドルが30歳になった。

 

30歳…?三十路…?おじさん?いやいや、まだまだプリティーなアイドルでしょう、にゃんにゃんしてても可愛いねと心から言えるのだから…!と思っていたが、ご本人が30という節目にしみじみとしているのを見て、埃を被ったブログに再び手を出してみようと思った。

 

私が初めて伊野尾さんのことを好きになったのは5年前、舞台「カラフト伯父さん」を観劇した友人が"伊野尾慧"というアイドルに突然ハマったことから始まる。その友人が偶然にも同担拒否ではなく、むしろ同担を増やしたい側の人間であったため、それなりのステマを受けた結果、私は晴れてジャニオタになった。

嵐の二宮くん以来のジャニオタ。その頃はまだ自分でお金を稼げる歳でもなく、知り合いからもらうグッズのお土産や音楽番組で愛を繋いでいた。そんな私もジャニーズを卒業していろんな界隈へ飛び込み、沢山の荒波を経験した末帰ってきた。*1

 

伊野尾さんを取り囲む要素ひとつひとつが好きだった。普通の大学を卒業しているところが好きだった、指が綺麗でピアノが弾けるところが好きだった、妹のことが大好きで、実家で飼っている犬のことを嬉しそうに話すのが好きだった。美しい顔つきなのに重い前髪の奥には不揃いの凛々しい眉があるところが好きだった。身長が特別低くもずば抜けて高くもないところが好きだった。お仕事の関係で金髪になった時のAinoArikaが好きだった。自然に踊るところが好きだった。雑誌でお気に入りの曲を聞かれた時シングル曲やデビュー曲などを挙げる中1人だけ初回アルバムにしか入ってない「Endless Dream」を挙げるところが好きだった。喋り方もどこか冷たくて、でも素直なところが好きだった。

当時抱いていた好きを、言葉に表すことは比較的簡単に出来る。単純だったから。今はこんなにハッキリと言うことなんてできないかもしれない。それはきっと、伊野尾さん自身の成長でもあると同時に、本人が発するものを受けて私なりに消化した"好き"の更新の果てである。紡げる言葉の限界を超えてしまった、苦し紛れの"好き"で、全てを表すしかなくなってしまった、実に無念。

 

 

察しの通り、当時は24時間テレビのメインパーソナリティーになっている時期。厳密に言えば24時間テレビ前に好きになったものの、大きく括るなら私も"伊野尾革命"の時期に好きになった伊野尾担。コンサートに行けば青色に身を包む女の子が、過去の映像よりも増えていたり、マッシュヘアーのシルエットのうちわが増えていたり、Hey!Say!JUMPの中でも前線を張っていけるような人になっていた。

ただその前のことを、その新鮮な感情で感じることができない。大学生だった時のこともわからない、MVで見切れる姿も、ソロパートがない時も、テレビで映らない時も、その瞬間に体験することが、絶対にできない。世の中には色んな人がいて、自分の大好きな人が気付かれない世界を本当に悔しく思う人や、こんなにも輝ける人が端っこにいることを知っている独占欲と優越感が好きな人もいる。そんな些細なことに一喜一憂できる当時ならではの貴重さが惜しくて、「出会うのが遅すぎた」と何度も嘆いていたことを昨日のように覚えている。出来ることなら、私だって初舞台を決定した時にお祝いしたかったし、テレビで話題を振られているのを残念そうにしてみたかった。

 

嵐でも行くことのなかった、人生で初めて行ったコンサートで、伊野尾さんの顔うちわを抱え込みながら*2、実際に初めて見る"アイドル"に思わず背筋が伸びた。キラキラした、液晶の先を眺め続けていた人が、いま、目の前にいることの迫力。街中で一目惚れしてしまった時によく電流が流れるといったような表現をする少女漫画があったりするが、あの衝撃が電流ではなく、風に近い、広範囲な何かで衝撃を受けたような…そんなものだった。*3

登場したすぐ後、たまたま目を向けた先に私の抱えるうちわがあったのだろう、そのあと私の顔を見て、数秒間、時が止まったように、微笑むわけでもなく睨んでいるようなただ私の奥にある何かを見ているような、でも目は合っているような、と不思議な時間を体験した。*4「これがアイドルの力なのか」とも思った。ときめきとか、興奮とか、焦りとか恐怖とかが混ざった、曖昧な何かを受けたあの瞬間がなかったら、今もこうやって足を運ぶことなんてなかったかもしれない。その衝撃を与えてくれたのが伊野尾さんだっただけであって、ファンサ(と呼ぶほどでもない)ってそんなもんだよ、で済む話なのかもしれない。けれど、アイドルについて何も知らない私にとっては、その曖昧なものを感じるか感じないかで、次の日、1ヶ月後、1年後が違ってきていたと思う。

その感じた"曖昧な何か"を、PARADEのオーラスという、伊野尾さんの20代最後のコンサートで、伊野尾さんの顔うちわを抱え込んだ時、もう一度その瞬間を体験できたことに、少しだけご縁を感じたりする。*5

 

パーソナリティーに選ばれ、V6の岡田くんからいじられまくったそれからの露出の勢いは凄まじく、ソロパートは勿論曲の歌い出しのソロ、増えた前列の立ち位置、番組のレギュラー、ドラマ、映画、特集、表紙、伊ニャー慧とか。急激に仕事が増えたとしても、伊野尾さんは一つ一つの仕事で着実に成果を残して来たし、決して"時の人"になることはなかった。伊野尾さんは自分が取り上げられて、たくさんの人に愛でられたり、舞い込んでくるお仕事だったりが、いずれ終わりを迎えるものだということもどこかで理解していたように思う。だから中性的なアイドル像になることも建築アイドルへの地位の確立も自然にこなして、自然に落ち着いていったのかもしれない。"終わり"がくることを理解した上でこなしてきた仕事があったとしても、当時に決まったレギュラーの仕事をやり続けているのは、伊野尾さんの人を惹きつける力と、努力の賜物であることには間違いないだろう。ライブ終盤でへばることもなく、歌も上手くなって、バライティーで手を口元に持ってきておしとやかに笑っていた時よりも遥かに瞬発力や対応力が上がっている。裏では何かを犠牲にしたり並々ならぬ努力もあったりしているかもしれないが、私頑張ってます、という姿を全面的に出していくのではなく、時の流れに任せて自然にこなしていく姿がそこにはあったように感じていた。

 

 

24時間テレビ当時、「伊野尾革命期に伊野尾担になった奴はそのうち消えていく」なんて言葉があった。だから好きになった時期をわざと隠したり、永遠の新規だと謳ってみたり、批判されないように、静かに居場所を探し続けるファンがいた。少なからず、私の周りは多かったように思う。魅力のある人のことを堂々と好きだと言えない世界はあまりにも残酷だが、ある日突然日の目を浴びた自分の好きな人が、自分より何も知らない人にちやほやされるのを良く思わないその気持ちに理解がないわけではない。現に、ぺらっぺらのイチファンの私が論文程度の文字を連ねて話しているのが烏滸がましく感じるし、後ろめたさもある。。ただ、ジャニーズでは"担降り"が珍しい話ではなく、車を買い替えてみるとか、気が向いたから引っ越す、くらいにはある。姿を消したオタクなんて伊野尾担じゃなくてもかなりの数いる。そんな後ろめたい時代があっても、それでも応援したくて、今も根強く応援してくれる人がいるアイドルに、魅力がないはずがないし、追わせることのできる力が絶対的にあったのだな、と冷静に思ったりする。当時の私ではこんな考えに昇華できなかったし、まだまだ未熟ではあるけれど少しは大人になったのだなと感じる。5年って大きい。

 

伊野尾さんにとっての20代は、年を重ねていっても類を見ない濃さになるのだろう。今でも、私にとって20代前半の伊野尾さんに立ち会えなかったことの惜しさは大きいし一生悔やんでしまうのには間違いない。が、過去に囚われている暇なんてないくらいに駆けていった20代は、伊野尾さんにとっても、ファンにとっても、私にとっても、かけがえのない宝物であり財産であり、離したくない、忘れたくない思い出だろう。むしろ、そんな20代と別れを告げることが、なにより過去に囚われてしまう事象であるかもしれない。

あの20代は凄まじかった、あの時が、ナントカ、とか、ふと言っちゃうかもしれないけれど、じゃあ30代の伊野尾さんの魅力もこの先は皆無なのか?と言われたら絶対にそんなことはなくて。だって、現にこんなにも冷静で、物事を客観的に見れて、培われた分析力もあれば素直で他人を思いやる心もある、コミュ力も備わって、少年のような恥じらいがあって、時に出るわかりやすい感情があって、突き放すことも縛ることもないような温かさを持つ人が、30歳になってしまったら、むしろ怖くないですか。そんな人がアイドルをし続ける選択をしてくれたら、それはとっても幸せなことだなあって。

 

アイドルである前に、人間としての魅力が詰まった存在を、どうかアイドルである間だけでも追わせてほしい。大好きな人が目指すアイドルを、大好きになれる自信がある。その根拠がが「大好きな人だから」以外にない。

良い意味で、どうかそのままの、自然体で、のびのびとした、可愛いあなたでいますように。

 

 

30歳という、伊野尾さんにとって大切にしたい、大事な節目の瞬間に、立ち会えたことに感謝しながら…

伊野尾慧さん、30歳のお誕生日おめでとう。

 

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p.s.

どこかのライターさんが「伊野尾慧はホワイトモカみたいな人だ。」みたいな記事を書いていらして、ちょっと面白かったのでそれから冬はホワイトモカを飲むようになったのですが、記憶が曖昧でなかなか見当たらない。もう一度あの記事を読み返してみたい…。

 

*1:どうでもいい話だが嵐のグッズのpopcornバンダナとかを後に調理実習の三角巾で使った時には他の嵐担から猛烈な批判を受けたりした…今思えば思い切ったことをしているとしみじみ…

*2:ペンライトが大好きな私氏、ツアー初日にペンライトが売り切れて泣きながらうちわを抱えていたという余談

*3:語彙の限界

*4:幸いなことにメンステ近くの最前スタンドだったこともあり、手元を遮るものがなかったんだと思う

*5:ペンライトはちゃんとあったので泣いてない